ピアニストのキャリアと聞いて、どんな印象を思い浮かべますか?
幼少期からの英才教育、音楽学校での激しい競争、本場西洋への留学…エリート達が少ない椅子を奪い合う、熾烈な世界をイメージしがちではないでしょうか。
そんなピアニストの世界で、エリートコースとは異なるキャリアを歩んで独自のポジションを確立しつつある岡山県在住の山地真美さん(@7Maapff)に話を聞きました。
山地さんは新たな取り組みとして、瀬戸内市の古民家アトリエを拠点にした音楽プロジェクトを準備中でクラウドファンディングを実施しています。
なぜ瀬戸内の古民家アトリエで、ピアニストである山地さんが拠点づくりをしているのでしょうか。
そこには、彼女なりに「理想のキャリア像」と向き合い、試行錯誤した先に見出した活路がありました。
クラウドファンディングページ
【山地真美のインバウンドでの挑戦】1台のピアノで世界中と日本をつなぎたい!(CAMPFIRE)
山地真美プロフィール
ピアニスト・作曲家。おかやま観光特使。
岡山大学法学部法学科卒業後は上京してピアニストとして勉学に勤しみ、現在は、岡山をはじめ全国各地の情景や歴史を、ピアノでの即興演奏とドローン撮影による迫力のある映像とともに、全世界に発信している。
これまで米ロサンゼルス、中国上海、コスタリカでも公演を行い、「情景を音楽で描く日本人ピアニスト」として各国メディアにも多数取り上げられております。
2018年には岡山県内の各業界で活躍する若手活躍者を顕彰する「オカヤマアワード」の特別音楽賞を受賞。
2015年カンヌ国際映画祭入選作品「ORIGAMI」のテーマ曲に、楽曲「鶴は舞う」を提供。また、放送中のBSフジ番組「ブレイク前夜」(毎週火曜日21:55〜)の全音楽を担当。他、CanonのCMに楽曲「セピア色の風景」を提供。
CAMPFIREプロフィールより<
もくじ
決してエリートではないが、夢中で高校まで続けたピアノ
山地さんはいつからピアノを始めたんですか?
幼稚園からですね。地元の岡山にあるピアノ教室に通っていました。
幼稚園!かなり早いですね。エリートコースまっしぐらだったんでしょうか?
全然ですね。近所にピアノ教室ができたから通ってみようかな、という感じでした。
音楽の英才教育を受ける人って、両親も音楽家だったりすることが多いんですけど、うちの家は父がサラリーマンで母は主婦。
じゃあ、山地さんが純粋に音楽が好きだったからピアノを習い始めたんですね。
音楽は子供の頃から大好きでした。
友達の動きに合わせてゴジラのテーマを弾いたり、園歌が流れたら勝手に伴奏をつけたりするような子供でした。
逆にピアノばかり弾いていたので、両親に「いつまで練習してるの」と言われてしまうほどです。
本当に好きだったんですね。
その教室はいつまで通ったんですか?
結局、幼稚園から高校生まで通いました。
大学に入ってからもその教室でアシスタントとして生徒のピアノのレッスンをすることもありました。
すごい!先生とは長い付き合いですね。
「就職に有利」と「両親への配慮」で閉ざされたピアニストの道
高校卒業後の進路はどうしたんですか?音楽は続けたのでしょうか。
結果的に、岡山大学の法学部に進学しました。
ええ!てっきり音大に進んだのかと。
もともと、高校を選ぶときも音楽科のある高校に行きたい気持ちはありました。でも音楽の道に進む自信や決意を持てませんでした。
同じように、高校卒業後は音大へ行きたい気持ちがあったんです。でも、せっかく進学校に通ったのだから、将来の道を音楽だけに絞っていいのか迷いました。
それでは進路を決めた時は音楽はやめるつもりだったんですか?
音楽は大好きでしたが、「職業としては音楽以外に向いているものがあるかも」と自分に言い訳したまま進学しました。
その上で、音楽は趣味でやればいいかな、と自分に言い聞かせてましたね。でも本当は音楽で挑戦したかった。
そんなに強い思いがあったのに、音大進学を思い切れなかった理由はなんだったんでしょう。
ピアニストとしてのスタートが圧倒的に遅いからです。
えっ!幼稚園からピアノを始めたのに、それでも遅いんですか?!
楽しんで弾くピアノと、ピアニストを目指して弾くピアノは別物なんです。
いわゆるクラシックのピアニストを目指すとなると、18歳で本腰を入れてもエリートたちと同じ土俵には乗れないのはわかっていました。
ううむ。それにしても岡山大学の法学部へ進学とは、かなりの路線変更に見えます。
いくつか理由はあって、ひとつは法学部は何かと就職に有利と聞いていたからです。
あとは、「地元に残って欲しい」という両親への配慮もありました。
就職に有利と言われるとグラっとしてしまう気持ち、わかります。
音楽で勝負する自信が欲しい。むしろピアノ漬けになった大学生活
大学生活が始まってからも結局ピアノばっかりやっていました。
掛け持ちでいくつもバイトして、稼いだお金はほとんどコンクールに挑戦する費用にあてていましたね。
むしろピアノ漬けですね!なんでまた、コンクールに挑戦するようになったんでしょう?
コンクールで受賞することで、ピアノを続けてもいいという自信を求めてたんだと思います。
なんとなくわかります。ちなみに、コンクール参加ってどのくらい費用がかかるんですか?
参加費だけでだいたい10,000円〜20,000円くらいかかります。さらに、会場が県外になると移動費・宿泊費もかかるので、かなり出費がかさみましたね…
それはかなりの出費ですね。
大学生としてのキャンパスライフはどうでしたか?
笑い話なんですが、教育学部の校舎にグランドピアノがあることがわかって、こっそり忍び込んで練習していました。
コンクールで結果を出すために、どうしてもグランドピアノで練習したかったんです。
キャンパスライフまでピアノ漬け!
授業の合間にこっそり練習して…何しに大学行ってるんだって話ですよね(笑)。
でもバレなかったんですか?
そもそも、そのグランドピアノはおそらく本来は法学部の生徒が使っていいものじゃなくて。ある日、教育学部の先生に見つかって「君は誰だ」ってなってしまったんです(笑)。
やっぱりバレたんですね。大ごとにならなかったですか?
私もこれはヤバいと思って、見つかった教授にメールをして謝ったんです。でも、間違った教授にメールを送ってしまって…。
なんというミスを…。
ところが、間違ってメールを送った教授から「よかったら演奏を聴かせてください」と言われて。
急展開!どうなったんですか?
演奏を聴いてもらってから、教授は在学中の私の音楽活動を理解してサポートしてくれるようになりました。実はここだけの話ですが、グランドピアノも使えるようにこっそり話を通してくれて。
その教授は、音楽の道へ進むべきか迷っていた私の背中を押してくれた恩人になりました。
偶然の出会いがあったからこそ、今の山地さんがあるんですね。
もうひとつきっかけとなったのは、「癒しの音楽」という本との出会いです。
どんな本ですか?
就活の空き時間で入った本屋さんでたまたま手にした本なんですが、「癒しの音楽」という一冊の薄い本があって。
音楽の効果を科学的な側面から分析・証明している本なんですけど、例えば医療や療法にも音楽は効果があると。
音楽といえばエンタメや芸術というイメージですけど、その枠を超えた大きな可能性を教えてくれる本でした。
山地さんがこれまで漠然と感じていた音楽のパワーを言語化してくれていたんですね。
これだ!と思って。予定していた就活の予定をキャンセルして音楽の道へ進むことを決意しました。
思い切りがすごい!
両親の反対を押し切り、上京して音楽学校へ
就職活動の話が出ましたが、周囲が就活をしている中で「普通に就職する」ことに対してプレッシャーは感じませんでしたか?
すごくありました。突然私は「東京で音楽学校にいく」と言い出したわけなんですが、将来の保証もない音楽の道に、しかもなんの縁もない東京へ出ていくなんて、両親はそれは心配していました。
せっかく地元の大学に進み就職が決まりそうだったのにそれを全部捨てていくなんてと。
それに両親には、地元で就職して欲しいという強い想いがあったんです。そりゃそうですよね。
話が平行線のままで、家庭内で冷戦状態が1年くらい続いていました。
最後は両親が折れて「好きにしなさい」と言ってくれて、卒業と同時に音楽学校に通うために上京しました。
家庭内冷戦…想像したくないですね。東京ではどんな暮らしをしていたんですか?
半ば反対を押し切って岡山を出たので、音楽活動の結果がでない限り岡山には帰れないと思ってました。
その反骨心から、東京都内で一番安い所に住んでやる!と決意して家賃1.9万円のシェアハウスに住みました。
や、安い。ちゃんと生活できる状態なんですか。
家というより、小学校の廊下というか、ちょっと監獄に近かったですね(笑)。
廊下や監獄って、家を表現する言葉とは思えないです(笑)。
もちろん同居人も選べないのでどんな人かと不安だったんですが、美大の子や声優志望の子など、わりとノリの近い人だったので楽しいシェアハウス生活になりました。
ついに音楽の道に進んだわけですが、不安はありませんでしたか?
地元の友達は大学を卒業して「立派に就職」しているのに、私はまるで監獄のようなシェアハウスで暮らしていてゼロからのスタート(笑)。同級生に会いにくい時期でした。
わかります。同級生って就職先のランクを比べあったりするからプレッシャーになりますよね。
その悔しさもあって、「将来絶対、何者かになってやろう」と決心して音楽に打ち込みました。
負けず嫌いな性格が役に立ちました。
音楽学校での生活はどうでしたか?ついに本腰を入れて音楽に打ち込む時がきたわけですもんね。
音楽学校に通った4年間はとにかくピアノの演奏技術を磨くことに専念しました。一番早く学校にきて練習室を取って、一番遅くまで残って練習してました。休日も含めて毎日練習。
東京に住んでたのに、学校以外の東京を知らないままでしたね。
ミーハーな質問なんですが、地元でピアノが上手かった人が音楽学校に入学して周りのレベルの高さに愕然とする、みたいなドラマのような体験はなかったんですか?
自分は本腰を入れてピアノに取り組むのが遅いという事は痛いほど理解していたので、周りと差があるのは当たり前だと割り切っていました。
音楽にパワーがあると信じてはいましたが、まずは音楽のパワーを引き出せるほどの地力をつける事が最優先だったんです。
じゃあ周りとの差にショックを受ける事はなかったんですね。
はい。むしろ、ピアニストとして他の人よりも遠回りしてきたことを強みに変えてやろうと思っていました。
いわゆるエリートコースだと音楽しか学ばないですが、私は大学まで様々な分野を学ぶ機会に恵まれ、部活動やアルバイトなどのごく普通の生活を知っている。
例えばこれは、3歳からピアニストを目指してきたエリートの人達には体験できない世界です。
音楽は表現の世界だから、そこも私の全て表現につながるはずなんです。
クラシックは西洋の文化。日本人の自分が表現すべき音楽とは
4年間、地力を徹底的に磨きあげた山地さんが「自分の音楽」を見出すきっかけはあったんですか?
学校ではしっかりクラシックを学んでいて、ロシアに短期留学する機会がありました。
当たり前ですが、ロシアでは普段からロシアの文化に触れている人が、ロシアで学んでロシアの音楽を奏でています。
その音楽を日本人の私がいくら学んでも勝てるわけがないわけで。
確かに…。クラシックと聞くと、ついつい西洋が本場だと思ってしまいますけど、西洋の文化に触れている人にとっては「自分たちの音楽」を奏でているだけですもんね。
そうです。ロシアのクラシックで日本っぽい表現をすると「それは日本っぽい表現だからダメ」となってしまうんです。
私は日本人で日本の文化で育ってきたのに、それを表現する事ができない。ロシア留学がきっかけで、音楽に対して強烈なもどかしさを感じるようになっていきました。
なるほど。
「クラシック=西洋」という当たり前すぎる前提があるので、その発想は盲点ですね。
幼い頃からクラシック一筋だったら気がつかなかったと思います。私が遠回りして普通の生活を経験してきたからこそ疑問を持てました。
その気づきを経て、どんなスタイルの音楽を目指したんですか?
ピアノを通して、日本人としての表現を思い切りしたい。だけど、他のピアニストと同じようなアプローチでは勝てない。いろいろ考えた結果、作曲家として活動していくことにしました。
自分の曲がコスタリカの音楽学校の課題曲に
どんな曲を作曲していたんですか?
作曲していると、感動した風景やストーリーといった、心が動いた瞬間を曲にする事が多くなっていきました。
しかも、気づいたら自分の地元の岡山を描いた曲ばかりになっていたんです。それって、東京のピアニストにはできないことだと気づいたんです。
そうですね。
他ピアニストにはできないことだし、地域活性化にもなるし、私が心からやりたいことだし、これを活動方針にしよう!と心に決めました。
コンサートをセルフプロデュースして開催するスタイルを確立していったんですが、オリジナリティを出すために、音楽に合わせて岡山の映像を流すようになりました。
最近ではドローンを飛ばして空撮した映像も使うようになっています。
そこまでやると反響も大きかったんじゃないですか?
岡山の人々を巻き込んで活動できるようになりました。私が作曲した岡山の曲を、岡山県人で奏でるイベントを開催したり、岡山の歴史人の物語を音楽に乗せて演奏したり。
東京では岡山の魅力を発信して、岡山では地元の魅力を再発見してもらう活動が増えていきました。
地方と東京の使い分けがうまいですね。
印象に残るような活動があれば教えてください。
岡山市の友好都市であるコスタリカのサンホセ市という街があるんですけど、ちょうど友好都市締結50周年だったんですね。
その機会に岡山市から声をかけてもらって、サンホセ市へ行ってオーケストラの演奏をしてきました。
おお、すごい。それって山地さんがずっとやりたかった事ですよね。
長年、思い描いてた事が実現したイベントでした。しかも、岡山の情景を描いた曲を、岡山の映像に乗せて、コスタリカのオーケストラに演奏してもらって共演できたんです。
さらに、コスタリカの音楽学校で私が講師として岡山の曲を教える機会をもらいました。
そうしたら、学長さんがその曲を学習課題曲に指定してくれたんです。300人のピアニスト志望の学生が私が作曲した岡山の曲を練習してくれている。
いい話!
コスタリカの方々の心に岡山の情景が音楽として残るんですね。
はい。コスタリカで岡山の曲が演奏され続けて欲しいです。
そうすれば、私の音楽がきっかけになって岡山に興味を持って、岡山に来てくれるようになると信じています。
今後の大きな目標などありますか?
壮大な夢としては、コスタリカの事例のように世界中で日本の曲が演奏されている状況を作る事で、世界の人に音楽を通して日本の情景をリアルに伝えたいです。
私がロシアにクラシックを学びに行ったように、日本の音楽を通じて日本に音楽を学びに来たり、日本の情景を見に来たりできるモデルが作れたらいいなって。
古民家アトリエに世界中の人々が集まるコミュニティを
今は新しいプロジェクトとして、岡山に古民家アトリエを準備しています。私の所属事務所であるBenerootの方で、ゲストハウスとしても運営していく予定なんです。
アトリエ兼ゲストハウスですか。どんなプロジェクトなんですか?
コスタリカで岡山の音楽を演奏する事ができたので、次は世界の人々が岡山の音楽を岡山で楽しめる拠点を作りたくて。
ずっと良い物件が出るのを待ってたんですが、最近これだ!という物件が見つかったんです。
どんな物件ですか?
まず、楽器を演奏しても大丈夫な物件です。
そりゃそうですね(笑)。
あとは芸術文化の盛んな瀬戸内市にあること、伝統的な日本家屋であること。まさに理想通りの物件でした。
瀬戸内地方は『瀬戸内国際芸術祭』が開催されるたびに大盛り上がりですもんね。日本家屋というのも納得です。インバウンドの観光客は日本の民家を面白がって見てくれますよね。
最後に、グランドピアノが置けるスペースがあることも重要なポイントです。ゲストハウスに遊びに来てくれた人たちと、言語関係なく音楽でつながるためのツールになります。
ただ、つながるだけじゃなくて岡山の音楽に触れる事で、岡山の文化や魅力に触れてもらえるきっかけになるはずです。
ピアノを通じて世界中の人々が交流している姿を想像するとワクワクします。グランドピアノはどうやって調達するんですか?
クラウドファンディングに挑戦をして資金調達をしています。支援してくれた方のリターンには、ピアノの鍵盤にイニシャルを記す事ができたり、全国どこでも山地真美演奏会を開催できる権利があったりします。
山地さんの生き様がそのまま表現されているクラウドファンディングですね。
私は世界中に友達を作りたいので、ゲストハウスでの体験を通じて、コミュニケーションとして音楽は有効だと知ってもらえたら嬉しいです。
ピアニストとしては異色のキャリアを歩んできた山地さん。話を聞くほど「せっかく進学校に入学したし…」とか「就職に有利だから…」といった、多くの人が感じるプレッシャーを山地さんも受けている事がわかって、共感する部分がありました。
本格的にピアニストを目指したのは大学卒業後と遅かったものの、それをハンデと捉えずに強みに変えた彼女の音楽が世界に広がる事を応援したいですね!
山地真美さんTwitter(@7Maapff)
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【山地真美のインバウンドでの挑戦】1台のピアノで世界中と日本をつなぎたい!(CAMPFIRE)
山地さんの音楽プロジェクト『音土産』の活動紹介note